新春特別企画第二日目<3000名募集>
「共に学び、共に生きる」関係を追求するために、一番障害になることは何でしょうか。今回は、2024年を迎えるにあたり、これまで少しタブーとされてきたかもしれないことを一緒に考えてみたいと思います。
今回ご登壇いただく徳田茂さんは、最も重要なのは、親や教師が、子どもの「障害」を受容することができるか、言い換えるとその子の個性を「ありのまま」に受け止めることができるかという点にあると考えています。
まず徳田茂さんについてご紹介しましょう。徳田さんは仲間の人たちと、養護学校を不合格にされた子どもたちを受け止める施設として、石川県金沢市に障害児通園施設「ひまわり教室」を1974年に設立しました。また、「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の代表をお務めでした。
徳田さんは、保護者が子どもの障害を受容するプロセスを重視した教室運営を続けてこられました。徳田さんの御著書から引用してみましょう。
「あの子が死んでくれたら、と思ってしまうんです」と語る母親を前にして、彼女の心の奥深くの感情や思いに焦点を当てていると、彼女のどうしょうもないつらさや悲しみがひしひしと伝わってきます。染み込むようにして私のなかに入ってきます。そのつらさや悲しみを、まずきちんと受け止めたいのです。返す言葉も容易に見い出せぬまま、ただじっとしていることもあれば、やっとの思いで「しんどいやね」と言うこともあります。母親のつらさや悲しみがそのまま私のつらさや悲しみになるわけではありません。なるわけがありません。しかし、ほとんど同じになるほどの感じ方をしたいと思います。そうした聴き方、向き合い方を過して、私は一人ひとりの母親の悲しみゃ苦しみや喜びを共有するように努めてきました。これからもそうありたいと思っています(徳田茂『「障害」児と共に地域に根ざす一』、柘植書房、1989年)。
ひまわり教室に通う子どもたちの保護者は、「自分の子どもは『障害児』ではなく『一人の子ども』である」と考えられるようになり、多くの子どもたちが地域の保育所や幼稚園、小学校に通うようになるそうです。このように、親が子どもの障害を受容し、地域の学校への就学を決断できるようになる背景には、ダウン症の息子の保護者でもある徳田さん自身のご経験が深く関わっています。
徳田さんは、自分の子どもが障害児であると知らされた時、深い絶望感と劣等感にさいなまれたといいます。差別された障害児のための活動をしてきた徳田さんでありますが、自分の子どもが障害児だと知って、実は自分自身が差別的な人間であったということに気づかされました。
研究会当日は、どのようにして自分自身を見つめ直し、子どもの障害を受容していったのかについてお話をいただきます。加えて、保護者や教師が子どもの「障害」を受容するとはどういうことなのかについて、数多くの対話を積み重ねられる中で見えてきたことをお話いただく予定です。
全国で「共に学び、共に生きる」運動に携わってきた多くの人が、迷ったとき、自分の仕事を考え直したい時に、金沢の徳田さんの許を訪れ、対話を通して自分の考えや行動を問い直してきました。徳田さんはzoomなどの遠隔ミーティングは苦手とおっしゃっていたのを、今回、無理にお願いして、皆さんにお話をいただく会が実現しました。
インクルーシブ教育やインクルーシブ保育にご関心をお持ちの市民の方、障害のある子どもをもつ保護者の方、子どもの就学先に迷われている方にぜひお聞きいただきたい内容となっております。
カメラオフ、マイクオフでご参加いただけます。また、お申し込みの方には、後日、録画を配信しますので、当日ご都合が悪いという方も安心してお申し込みいただけます。
皆様のお申し込みをお待ちしています。また、近くにご関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご紹介いただけましたら幸いです。どうぞよろしくお願いします。
「共に学び、共に生きる」関係を追求するために、一番障害になることは何でしょうか。今回は、2024年を迎えるにあたり、これまで少しタブーとされてきたかもしれないことを一緒に考えてみたいと思います。
今回ご登壇いただく徳田茂さんは、最も重要なのは、親や教師が、子どもの「障害」を受容することができるか、言い換えるとその子の個性を「ありのまま」に受け止めることができるかという点にあると考えています。
まず徳田茂さんについてご紹介しましょう。徳田さんは仲間の人たちと、養護学校を不合格にされた子どもたちを受け止める施設として、石川県金沢市に障害児通園施設「ひまわり教室」を1974年に設立しました。また、「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の代表をお務めでした。
徳田さんは、保護者が子どもの障害を受容するプロセスを重視した教室運営を続けてこられました。徳田さんの御著書から引用してみましょう。
「あの子が死んでくれたら、と思ってしまうんです」と語る母親を前にして、彼女の心の奥深くの感情や思いに焦点を当てていると、彼女のどうしょうもないつらさや悲しみがひしひしと伝わってきます。染み込むようにして私のなかに入ってきます。そのつらさや悲しみを、まずきちんと受け止めたいのです。返す言葉も容易に見い出せぬまま、ただじっとしていることもあれば、やっとの思いで「しんどいやね」と言うこともあります。母親のつらさや悲しみがそのまま私のつらさや悲しみになるわけではありません。なるわけがありません。しかし、ほとんど同じになるほどの感じ方をしたいと思います。そうした聴き方、向き合い方を過して、私は一人ひとりの母親の悲しみゃ苦しみや喜びを共有するように努めてきました。これからもそうありたいと思っています(徳田茂『「障害」児と共に地域に根ざす一』、柘植書房、1989年)。
ひまわり教室に通う子どもたちの保護者は、「自分の子どもは『障害児』ではなく『一人の子ども』である」と考えられるようになり、多くの子どもたちが地域の保育所や幼稚園、小学校に通うようになるそうです。このように、親が子どもの障害を受容し、地域の学校への就学を決断できるようになる背景には、ダウン症の息子の保護者でもある徳田さん自身のご経験が深く関わっています。
徳田さんは、自分の子どもが障害児であると知らされた時、深い絶望感と劣等感にさいなまれたといいます。差別された障害児のための活動をしてきた徳田さんでありますが、自分の子どもが障害児だと知って、実は自分自身が差別的な人間であったということに気づかされました。
研究会当日は、どのようにして自分自身を見つめ直し、子どもの障害を受容していったのかについてお話をいただきます。加えて、保護者や教師が子どもの「障害」を受容するとはどういうことなのかについて、数多くの対話を積み重ねられる中で見えてきたことをお話いただく予定です。
全国で「共に学び、共に生きる」運動に携わってきた多くの人が、迷ったとき、自分の仕事を考え直したい時に、金沢の徳田さんの許を訪れ、対話を通して自分の考えや行動を問い直してきました。徳田さんはzoomなどの遠隔ミーティングは苦手とおっしゃっていたのを、今回、無理にお願いして、皆さんにお話をいただく会が実現しました。
インクルーシブ教育やインクルーシブ保育にご関心をお持ちの市民の方、障害のある子どもをもつ保護者の方、子どもの就学先に迷われている方にぜひお聞きいただきたい内容となっております。
カメラオフ、マイクオフでご参加いただけます。また、お申し込みの方には、後日、録画を配信しますので、当日ご都合が悪いという方も安心してお申し込みいただけます。
皆様のお申し込みをお待ちしています。また、近くにご関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご紹介いただけましたら幸いです。どうぞよろしくお願いします。
講演者紹介
徳田茂
1947年 現在の石川県金沢市に生まれる。
1970年 金沢大学法文学部文学科(心理学専攻)卒業。
石川県と滋賀県の障害児・者の入所施設勤務を経て、
1974年 障害児通園施設「ひまわり教室」を金沢市内に開設。2011年3月まで代表。
1978年 他の障害児の親たちと、「松任・石川障害児の暮らしと教育を考える会(現在の「白山・野々市つながりの会」)を結成。
2001年 「障害児を普通学校へ・全国連絡会」代表に(2014年まで)。
2016年 第48回中日新聞社主催「中日教育賞」受賞。
現 在 「白山・野々市つながりの会」代表。
「障害児を普通学校へ・全国連絡会」運営委員。
注意事項
当日、文字通訳による情報保障を行います。その他の配慮が必要な場合、できるだけ早い段階でご相談ください。後日、録画を期日限定で配信します。ご自身での録画・画面のキャプチャーはお控えいただけますよう、お願いします。
ウェビナーでの開催となりますので、カメラオフ・マイクオフでご参加いただけます。ご自身の参加が他の参加者に知られることはありません。
申し込みは終了しました