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私にとってのインクルーシブ教育(実践録) 〜とても困難、でもとても幸せ〜

「障害」を受容することと、そこからの学級づくり・東京大学・インクルーシブ教育定例研究会(オンライン・無料)
申し込みは終了しました
<3000人募集>

 今回ご登場いただくのは、石川県金沢市の公立中学校でで40年以上に渡って教壇に立ち、金沢のインクルーシブ教育の推進に大きく関わって来られた近藤也寸嗣先生です。
 近藤先生にとっての大きな転機は、障害を持つ息子智道さんのことを初めて生徒に語ったときでした。近藤先生は後にその体験を次のように語っています。

 僕は、長男・智道のことを、教室の子どもたちに語らずにいました。智道を語れない自分自身に、僕は、「あえて、今言う必要はない」「これでも僕は智道とともに生きているのだ」と信じこませていたのです。
・・・
 「みんな、ごめん。みんなに話していないことがある。話さなきゃいけないことを話さないのは、嘘をつくことといっしょだね」。
 智道のことを僕は話し始めました。脳性麻痺であること、ミルクを吸う力さえなかったことなど、智道の生い立ちを思い出し思い出し、すべてを生徒たちに伝えたくて早口で話し続けました。・・・
 親として智道に愛情を注げないと思ったことは、一度もありませんでした。しかし、僕は智道を隠し続けていました。家でどんなに智道と楽しく遊べても、そのことを学校で楽しく語ることはできませんでした。
 生徒たちが興味本意に表面的に捉えてしまうのではないかと僕は恐れていたのです。それは智道がかわいそうなのではなく、親である僕に、障害を抱えた子どもがいるということがわかる自分がかわいそうなのでした。僕や智道が差別に直面してきて僕たちがしんどい思いをしてきた経験は、“僕が僕である” ことの最も核心に近いところです。そのことが言えなかった。・・・
 二年生の生徒たちの感想文を読んで、僕は愕然としました。生徒を信頼できないでいた自分の弱さ、そして傲慢さを思い知らされました。
 智道を語らないことは、智道に対する最大の差別であることに気づかされたのです。智道を健常児から分けようとした“権力”は、差別者ですが、智道を隠した僕というのは、その“権力”とどれほど違うのか。この授業での生徒たちの感想から、僕はたくさんのことを学ぴました。


この経験をきっかけに、近藤先生のクラス運営も大きく変わっていったそうです。 近藤先生自身が学校で女装をして生徒の前に登場したり、「鼻からミルクティー」と題した学級通信を出したりと、子どもたちが安心して自分自身や友達と向き合えるような学級づくりを工夫していきます。
 現在は特別支援学級の担任として、特別支援教育には大きな疑問を抱いているといいうことです。分けられてしまった子どもたちと日々向き合う中で、インクルーシブ教育をどう進めていけばよいと考えておられるのかについても、当日お話を伺う予定です。

 どうすればインクルーシブなクラスを作れるのかと考えている教師の方をはじめ、
インクルーシブ教育に関心をもつ市民の方に広くご視聴いただければと思います。

 お申し込みいただいた方を対象に、後日録画のリンクを共有しますので、当日御都合がつかない方も安心してお申し込みいただけます。

 また、ご関心のある方がお近くにいらっしゃいましたら、ぜひこの案内をシェアしていただけましたら幸いです。

(当日のご講演の骨子)
私にとってのインクルーシブ 〜とても困難、でもとても幸せ〜
1)我が子を語れなかったこと、我が子を語れたこと
・智道(ともゆき)の誕生 ・金沢市保育課との「たたかい」
・金沢市教育委員会との「たたかい」
・だけど「我が子」を教室で語れなかった私
・「我が子」を語れた時に気づいたこと

2)子どもを理解しようとすること(教室で)
・子どもは思ったとおりには動かない (学級崩壊の経験。人は自分の思い通りにはならない! それってあたりまえ!)
・子どもを理解しようとする子どもたちを見ている「私」、子どもを理解しようとする「私」を見ている子どもたち(不登校の生徒とクラスの生徒達と)

・学校の「あたりまえ」は子どもにとっても「あたりまえ」か(子どもたちと一緒に考え、行動し、楽しむ)

3)特別支援学級担任3年目
・子どもたちはここにいることをどう思っているのか
・文科省、教育委員会が定める教育課程に合わせると子どもたちはどうなってしまうか
・授業を共有することの意味

4)インクルーシブ、なぜ困難? なぜ幸せ?
会場
オンライン(zoom・ウェビナー)
ホームページ
https://www.p.u-tokyo.ac.jp/cbfe/
住所
アクセス

講演者紹介

近藤 也寸嗣

1958年京都府京都市生まれの65歳。
 金沢大学教育学部卒業後、40年間、石川県金沢市で中学校の教員をしています。34歳からは連続して学級担任です。と書くと普通の先生ですが、ふりかえると小さい頃から、努力して頑張る、頑張って皆に合わせる、ということが苦手だったように思います。(今も。)
  大学はあまり学校に行かず、2年生を3回、3年生を2回やって卒業に7年間かかりました。いつも学生課の掲示板に僕の名前が書いてあり、けっこう有名人でした。教務課、学生課の職員の方にはアルバイトを紹介してもらったり、温かい言葉をかけていただきお世話になり(お子さんの家庭教師までさせていただきました)、そのおかげで卒業、就職できました。
 さかのぼって、 高校2年では進級保留となり山のような宿題を春休みにやりました。
 さかのぼって、 小学校の低学年は学校不適応、小3、小4の担任は教室全面に「これだけできた」という棒グラフ表(X軸に氏名、Y軸は到達点)が貼ってあり、いつも僕は0ポイントで、母には「今年は(も)授業参観がなくなった」とウソをつき続けました。 唯一気楽だったのは、校則がほぼなかった私立中学で、だから中学校の教員を選んだんだと思います。
 教員2年目の7月、長男・智道(ともゆき)が生まれました。智道には脳性麻痺とそれにともなう知的障害がありました。教職員組合の会合で長男の話をしたら、県教組金沢支部の人権教育専門委員会に入ることとなりました。ここのあたりから、研究会でお話しする内容に入っていくと思います。
2021年 石川県教職員組合障害児教育部部長
2023年 石川県同和教育研究協議会事務局長

タイムテーブル

時間 内容
20:00 ご講演
21:30 休憩
21:40 質疑
22:00 終了予定(30分程度延長の可能性あり)

注意事項

文字通訳による情報保障を行います。その他に配慮の必要な方は、できるだけ早くご相談をいただけたら幸いです。cbfe<アットマーク>p.u-tokyo.ac.jpへ御連絡ください。(<アットマーク>を@にご変更ください)
 
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